へんよ

ファックス送ろうとして見たらひにちが3/3 3/6 3泊となってるけど5月の間違いではない?だから送ってないわよ






母から携帯に送られてきたメール全文。なんだろう、この感覚・・タイトルが可笑しくってしばらく笑った。本文もどこか可笑しな趣きがある。いや、まったくふつうの事務的のメールで、取るに足らないものなのに、なにかのっぴきならない雰囲気もあるというような。胃が浮くような心地にさそわれました

日にちを、間違えていたのは私なのだけど。

失敗だけが明確にある

狂人日記おもしろいと書いたばかりだったのだけど、犬の手紙のあとが、あーこういう方向いくのね・・と、ありきたりの狂人像に回収されてしまうのが惜しかった。
犬の手紙を境に、その前までは「狂人の日記」だったのに、それ以降「狂人らしく書かれた日記」となり、デリケートではあるがはっきりと、小説か小説じゃないかぐらい、そこには違いがある。

小説には、あるべき理想も正解もない。というのはたぶん他の芸術と一緒のことで、表現なのだから、当然ともいえる。けれど明確に、失敗だけはそれとわかるようにある。書いていると、いつでも陥ることのできる失敗の誘惑の気配をすぐそこに感じる、ということはよくある。そして気配がした時には、決まってすでにとらわれた後の、取りかえしのつかない状態になってしまっているのである。書ききれなかったもののすべては、早かれ遅かれ、かならずここに陥ることになる。それでもいくらか可能性があるのだとしたら、どこにもケリをつけない、ということがのこされている。ところが流しっぱなしの文章は、それはそれで、全然おもしろくもない。それはただ、ケリをつけない、というスタイルを借りているだけだからと思う。

そうして読めば読むほど、カフカの別格が際立ってくる。

連れ




一反木綿似のピアスを作った。

材料はスウェード地の紐と木の輪

プロフィールはこんならしい。ちょっと抜粋

■出 身  鹿児島県大隅地方
■分 類  付喪神(つくもがみ)
■武 器  巻き付いて締め上げ/鋭いエッジで切る
■苦 手  火
■メ モ  付喪神の一種で、布が妖怪になったもの。夜歩いている人に巻き付いたりして驚かしていた。鬼太郎軍団に入ってからは、空を飛ぶ能力を生かし航空部隊として活躍する。




鋭いエッジで切る がかっこいい。




ゴーゴリ狂人日記』岩波版のなかの犬の手紙が、ものすごいおもしろい。これ、一瞬で読めちゃうけど、いいから、時間かけよ。わけわかんないのに確実に突かれてる感じがする。

併収の「ネフスキイ大通り」と「肖像画」もよかった。

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2007見納め花見散歩。目黒川沿いの通りで、去年会った地元のおばあちゃんに、全く同じ場所で、全く同じシチュエーション(犬を抱いて白い壁の前で通行人をみてる)で出会って、おどろいた。しかも一緒にいた友達も去年も一緒に散歩してたから、「あッ」とかいってかなり驚いてた。また話しかけた。こっちは憶えているけどおばあちゃんのほうでは忘れていた。
地黒のおばあちゃんの笑う顔がかわいくて、しゃべると歯と歯の間がネバネバしていた。また来年も会えるといいな。それにしても日曜は人が多すぎて、混んでる美術館みたいに進むのも戻るのもタイヘンだった。

中目黒からでなくて、もっと上流の、池尻のほうは人全然いないのだけど。首都高の下潜りぬける流れに鴨がいて、すいすい泳いでいる

もうすぐ一年。

昼まで寝て、スパゲティー食べて、ピアノ弾いて、呑みに行った。


S女史から聴いた、先生の話がよかった。卒業にむけて、「機嫌よく生きてください」とのことだそうで。先生は、油断していると、すごくいいことを言う。自分の卒業の時、初めて先生に読んでもらった文章の、本人も忘れていたような細かいところまで憶えていてくれて、気恥ずかしかったけれど、こういうことは、貴重だ、と思った。



飲み屋を出るとき、お勘定を待っていると、いきなり肩を抱かれて、一緒にいた友人かと思いびっくりしてふりむくと、しらない女の人だった。大きくて薄い色のサングラスをかけて、黄色い細身の服を着て、髪の毛がふわっとしていていい匂いがして、微笑みかけられた。連れの男性が、「すみませんね」と言っていたけれど、女の人は笑っていて、きれいだった。

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上野界隈をひたすら回遊。




別段お花見好きというわけではないのだけど、東京でさくらが開花してから、連日見ている。雨が、ぽつ、ときたらザーと降りよせるように、さくらも、さいた、と思ったらぶわっと満開になる。枝があり、葉があり、花があり、ではなくて、枝にとつぜん、花がさいているのはグロテスクのような気もする。。とりあえずさくらフォルダを作った。増上寺、上野は、今週末がちょうど満開なのかな。目黒川沿いの桜はまだだそう。

メインの目的だった田中功起ショー最終日は、観にいって、よかった。田中さんとも話せた。よくわかるような気がした。

意味がないもので、それでもよく見れるのは、感覚を刺戟するものがあり、それが見た目の簡素さのなかに含まれた実は複雑な動きというか、音や、速さや、質感の、充実した何かなんじゃないかと思う。小説も、きらびやかな修辞や詩情のない、淡白なテキストでもすごくよいものがあって、それは言葉でそういう空間をつくっているからなんだと思った。今日会った友人と話していたことだけど、社会人になって、それまであった文芸事情のうわさというか、潮流のようなものに対してすごく疎くなったというか、よい意味で離れてもっと個人として自分が何を好きなのか、おもしろいと思うものを好きなだけ深めることができるようになったのは、よかったと思う。